研修医の目標とすべき救急医療 

卒後まもない研修医のなかには自分で心肺蘇生をできるように、まず麻酔科研修を希望する人が多い.そして気管内挿管、中心静脈挿入のテクニックを覚えようとする.しかし、麻酔科を4-6ヶ月間ローテートしたにもかかわらず、緊急時では、気管内挿管、中心静脈路の確保はなかなかうまく行かないことが多い.

日本では国としての救急医療に対する基本方針がないため、医師という資格があるだけでその業務にたずさわっている人は多い.大学病院では上級医が存在するため自分が執刀できないので、救急病院でアルバイト医として執刀しているケースもみられる.彼らにとっては、救急患者は自分の思っている治療をするためのものという印象もなきにしもあらずである.また、医師が高齢になってくると、四六時中の救急医療は肉体的に極めてハードとなる.日本では、これにみあった正当な報酬がなく、又適切な休養がとれないため、どうしても若い研修医がその役割を担うことが多い.特に深夜では上級医の監督のない医療が行われていることも多い.また、緊急ということで、何をしても許されることが多い.研修医がみようみまねで色々なテクニックを覚えてしまうと、変に自信をもったどうしようもない若い医師が生まれることになる.

救急疾患は、第一次からから第三次まで緊急性の程度で分類される.研修医がどのレベルの救急をしたいかで目標とされる知識は異なる.第三次救急をする医師が一次救急をする医師より、ある部分では優れていてもある部分では優れてはいない.つまり、気管内挿管、呼吸管理、スワン-ガンツカテーテル挿入ができその評価ができても、第一次救急として多くの患者の中からどの患者がそのような濃厚治療が必要か判断できないことも多い.

我々の病院で、救急外来や研修病棟における心肺蘇生の状況をみると、心肺停止の15分前のバイタルサイン等によりそそれが予測可能である症例は70%以上と思われる.つまり、臨床医として患者の緊急性に対する適切な判断力があれば、心肺停止をその前段階で発見して未然に防ぎ心肺蘇生をしないで済むこともある.臨床的な判断のあまさが心肺蘇生を余儀なくさせている.時間をかけて心肺蘇生法のトレーニングをするのは意味がないことはないが、指導医は研修医のこの現実を見る必要がある.

第三次救急のような特殊なことをできる医師の養成は必要であるが、これは細分化された内科における専門診療と同じことであり、初期研修医に期待することではない.研修医自身もこのことを理解して卒後の最初の2年間を研修する必要がある.救急蘇生法やICUにおける挿管後の集中治療に習熟することより、各内科疾患の自然歴を知り、病歴と身体所見から緊急性を判断できるとことに目標においた初期研修が必要と思われる.患者の訴えから、どんな検査が予想している診断にどの程度に有用であるかというevidence based medicineや必要な病歴を短時間に聴取し、必要最低限の診察で心不全、脳血管障害等を判別する能力が必要なのである.きちんとした病歴がとれ、バイタルサインから始まる体系的な身体所見をとれれば、第一次救急の患者には十分対応可能である.